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慶安2年(1649)に、三条町や周辺の村むらが村上藩の領地になったことは前に説明しました。その時に村上藩領となった所は、昔は三条藩だった地いきで、四万石の領地だったことから、村上藩になっても四万石領とよばれていました。
四万石領の町や村は10組に分けられ、組ごとに大庄屋という役職が設けられました。今の三条市にあって三条組となった所は、三条町と西大崎・東大崎・坂井(今の下坂井)・三柳・中村(今の北中)・田島・中新・籠場・柳沢・上野原・三竹・西潟・牛ケ島・四日町の各村です。また、一ノ木戸組は鶴田・下須頃・石上・嘉坪川・新光・入蔵(今の北入蔵)・栗林・三条村(今の東裏館と西裏館)・荒町・谷地(今の下谷地)と一ノ木戸の各村です。
三条組の大庄屋は宮嶋十郎左衛門(後に弥五兵衛があとをつぎます)で、一ノ木戸組の大庄屋は小林彦左衛門という人でした。大庄屋というのはどういう役柄だったのでしょうか。村上藩の大庄屋の役柄ははっきりしませんが、ほかの藩の記録によりますと、組の最も上の地位にあって、藩の奉行や代官の指示によって、
@組に属する各村からの年貢(今の税金)をとりまとめる。
A村と村の争いごとを仲直りさせたり、その争いの様子を藩へ報告する。
B藩からの命令を各村へ知らせたり、守るように指示したり、また大庄屋
どうしの連らくをとり合う。
C藩主(殿様)などの祝い事がある時は組を代表してお祝いをする。
などの役目がありました。なお大庄屋の下に村ごとに庄屋・組頭などがいました。(平成10年2月)
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