59 三条組(さんじょうぐみ)一ノ(いちの)木戸組(きどぐみ)大庄屋(おおしょうや)

 

 慶安(けいあん)2年(1649)に、三条町(さんじょうまち)周辺(しゅうへん)(むら)むらが村上藩(むらかみはん)領地(りょうち)になったことは(まえ)説明(せつめい)しました。その(とき)村上藩領(むらかみはんりょう)となった(ところ)は、(むかし)三条藩(さんじょうはん)だった地いきで、四万石(よんまんこく)領地(りょうち)だったことから、村上藩(むらかみはん)になっても四万石領(よんまんごくりょう)とよばれていました。

 四万石領(よんまんごくりょう)(まち)(むら)は10組に分けられ、(くみ)ごとに大庄屋(おおしょうや)という役職(やくしょく)(もう)けられました。(いま)三条市(さんじょうし)にあって三条組(さんじょうくみ)となった(ところ)は、三条町(さんじょうまち)西大崎(にしおおさき)東大崎(ひがしおおさき)坂井(さかい)(いま)下坂井(しもさかい))・三柳(みつやなぎ)中村(なかむら)(いま)北中(きたなか))・田島(たじま)中新(ちゅうしん)籠場(かごば)柳沢(やなぎさわ)上野原(うえのはら)三竹(さんちく)西潟(にしがた)牛ケ島(うしがしま)四日町(よっかまち)各村(かくむら)です。また、一ノ(いちの)木戸組(きどぐみ)鶴田(つるだ)下須(しもす)(ごろ)石上(いしがみ)()坪川(つぼかわ)新光(にっこう)入蔵(にゅうぐら)(いま)北入蔵(きたにゅうくら))・栗林(くりばやし)三条村(さんじょうむら)(いま)東裏館(ひがしうらだて)西裏館(にしうらだて))・荒町(あらまち)谷地(やち)(いま)下谷地(しもやち))と一ノ(いちの)木戸(きど)各村(かくむら)です。

 三条組(さんじょうぐみ)大庄屋(おおしょうや)宮嶋(みやじま)十郎(じゅうろう)左衛門(ざえもん)(あと)弥五(やご)兵衛(べえ)があとをつぎます)で、一ノ(いちの)木戸組(きどぐみ)大庄屋(おおしょうや)小林彦(こばやしひこ)左衛門(ざえもん)という(ひと)でした。大庄屋(おおしょうや)というのはどういう役柄(やくがら)だったのでしょうか。村上藩(むらかみはん)大庄屋(おおしょうや)役柄(やくがら)ははっきりしませんが、ほかの(はん)記録(きろく)によりますと、(くみ)(もっと)(うえ)地位(ちい)にあって、(はん)奉行(ぶぎょう)代官(だいかん)指示(しじ)によって、

 @(くみ)に属する各村(かくむら)からの年貢(ねんぐ)(いま)税金(ぜいきん))をとりまとめる。
 A(むら)(むら)(あらそ)いごとを仲直(なかなお)りさせたり、その(あらそ)いの様子(ようす)(はん)報告(ほうこく)する。
 B(はん)からの命令(めいれい)各村(かくむら)()らせたり、(まも)るように指示(しじ)したり、また大庄屋(おおしょうや)
  どうしの(れん)らくをとり()う。
 C藩主(はんしゅ)殿様(とのさま))などの(いわ)(ごと)がある(とき)(くみ)代表(だいひょう)してお(いわ)いをする。

などの役目(やくめ)がありました。なお大庄屋(おおしょうや)(した)(むら)ごとに庄屋(しょうや)組頭(くみがしら)などがいました。(平成(へいせい)10年2月)