現在の西本成寺1丁目にある法華宗総本山本成寺は歴史のある古い寺で、大みそかに除夜の鐘が打ち鳴らされたり、2月3日の節分に鬼おどりと豆まきがあることでも有名です。総本山というのは全国の同じ宗派の寺院をとりまとめ指導する寺のことで、本成寺は法華宗という宗派の全国の寺のちょう点にた立つ寺です。ですから、上杉謙信が越後国(新潟県)を支配していたころは、広い寺の領地がありました。
ところが越後が上杉氏から堀秀治という人から領主がかわると、本成寺のある地いきは新発田藩の支配地となり、本成寺の領地は300石に決められました。昔は米の量は重さでなく体積で数えました。1石は重さにすると150キログラムほどになります。300石の寺領ということは4万5千キログラムの米が収かくできる広さの土地が寺の領地ということです。
その後、本成寺の領地を朱印地にするようにすすめられました。朱印地というのは、徳川将軍が年貢(今の税金)などを免除することを公文書で約束し、大きな朱色の印を押してしょう認した土地という意味です。
そして朱印地になる前に本成寺領の実際の収かく高を新発田藩と本成寺の立ち会いで調査したところ、500石であることが分かりました。そこで、本成寺領の朱印地を500石として認めてもらうように、徳川幕府へ願い出たのですが、結局それが認められず、朱印地の本成寺領は300石に決められ、残りの200石は新発田藩領ということになり、寺領の本成寺村と藩領の本成寺村に分けられることになりました。それが現在の西本成寺と東本成寺というかたちに残っています。今から355年前のことです。(平成10年1月)
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