54 三条市(さんじょうし)いき(ない)新発田藩領(しばたはんりょう)

 

 江戸(えど)時代(じだい)初期(しょき)は、現在(げんざい)三条市(さんじょうし)になっている(ところ)は、いくつかの領地(りょうち)に分かれていました。その(なか)新発田藩(しばたはん)領地(りょうち)だった(ところ)も多くあります。新発田藩(しばたはん)初代(しょだい)藩主(はんしゅ)溝口(みぞぐち)秀勝(ひでかつ)という(ひと)です。

 溝口(みぞぐち)()は、はじめは豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)天下(てんか)をとっていた時代(じだい)九州(きゅうしゅう)島津(しまづ)()をせめた(とき)()がらをたて、上杉(うえすぎ)()越後(えちご)領主(りょうしゅ)となった堀秀治(ほりひではる)与力(よりき)大名(だいみょう)(大きな(ちから)のある大名(だいみょう)手助(てだす)けをする武将(ぶしょう))となっていました。(ほり)氏が越後(えちご)領主(りょうしゅ)でなくなった(あと)慶長(けいちょう)3年(1598)、はじめて独立(どくりつ)した大名(だいみょう)となり、新発田(しばた)藩主(はんしゅ)として、現在(げんざい)新発田市(しばたし)(しろ)(かま)えることになりました。その(とき)領地(りょうち)は6万石(まんごく)で、その(なか)に、現在(げんざい)三条市(さんじょうし)になっているいくつかの(むら)がふくまれています。

 そのころの新発田藩(しばたはん)御領(ごりょう)内高付帳(ないたかつけちょう)」(新発田(しばた)市立(しりつ)図書館蔵(としょかんぞう))という記録(きろく)によりますと、三条市(さんじょうし)いきで新発田藩領(しばたはんりょう)だった(ところ)は、塚野目(つかのめ)井栗(いぐり)保内(ほない)新保(しんぼ)曲渕(まがりふち)本成寺(ほんじょうじ)中村(なかむら)現在(げんざい)西中(にしなか)となっています)・月岡(つきおか)北鱈田(きたたらだ)現在(げんざい)東鱈田(ひがしたらだ)西鱈田(にしたらた)(かんが)えられます)などです。これらの地いきを地図(ちず)でみますと、(らん)北地区(ぽくちく)五十(いから)嵐川(しがわ)右岸地(うがんち)いき)では三条藩領(さんじょうはんりょう)村々(むらむら)(のぞ)加茂(かも)川流(がわりゅう)いきの保内(ほない)地区(ちく)井栗(いぐり)です。

 また、(らん)南地区(なんちく)五十(いから)嵐川(しがわ)左岸地(さがんち)いき)では、中世(ちゅうせい)と言われた時代(じだい)鎌倉(かまくら)時代(じだい)室町(むろまち)時代(じだい))、大面荘(おおものしょう)にあった村々(むらむら)新発田藩領(しばたはんりょう)であったことが分かります。これらの多くの村には、(がた)と言われる湿地(しっち)があちこちにありました。それが新発田藩(しばたはん)になってから新田(しんでん)開発(かいはつ)(うめ立てなどをして新しく田んぼにすること)されることになります。(平成(へいせい)9年9月)