41 ()栗村(ぐりむら)検地帳(けんちちょう)

 

 NHKのテレビドラマで「秀吉(ひでよし)」という番組(ばんぐみ)がありました。みなさんのお(とう)さんやお(かあ)さん、(とく)におじいさんが熱心(ねっしん)()ていたのではないでしょうか。その主人公(しゅじんこう)豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)で、(いま)から400年前に(たたか)いにあけくれていた日本(にほん)統一(とういつ)し、関白(かんぱく)という(もっと)もえらい(くらい)につきました。そして、そのころ越後国(えちごのくに)(いま)新潟県(にいがたけん))の支配者(しはいしゃ)となっていた上杉(うえすぎ)景勝(かげかつ)秀吉(ひでよし)にしたがうようになりました。

 豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)全国(ぜんこく)にどれだけの田畑(たはた)()しき((ひと)の住む土地(とち))があり、(こめ)などの作物(さくもつ)がどれだけ(しゅう)かくするのかを調査(ちょうさ)するように命令(めいれい)しました。そのころの税金(ぜいきん)である年貢(ねんぐ)を少しでも多くとりたてる目的(もくてき)(おこな)ったものです。その調査(ちょうさ)検地(けんち)と言います。秀吉(ひでよし)のことを太閤(たいこう)殿下(でんか)ともよびましたので、この(とき)検地(けんち)太閤(たいこう)検地(けんち)とも言いました。



 検地帳(けんちちょう)検地(けんち)内容(ないよう)記録(きろく)した(ちょう)ぼのことです。越後国(えちごのくに)では、文禄(ぶんろく)2年(1593)に検地(けんち)(おこな)われ、現在(げんざい)三条市(さんじょうし)各地区(かくちく)調査(ちょうさ)したものと考えられますが、記録(きろく)として(のこ)っているのは()栗村(ぐりむら)現在(げんざい)三条市(さんじょうし)大字(おおあざ)()(ぐり)中心(ちゅうしん)とした地区(ちく))の検地帳(けんちちょう)だけで、新発田(しばた)市立(しりつ)図書館(としょかん)所蔵(しょぞう)されています。

 では、その検地帳(けんちちょう)にどんなことが記録(きろく)されているのでしょうか。その(とき)検地(けんち)奉行(ぶぎょう)検地(けんち)()しする長官(ちょうかん))は増田(ますだ)長盛(ながもり)という豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)直属(ちょくぞく)部下(ぶか)でした。検地帳(けんちとばり)には田畑(たはた)名前(なまえ)面積(めんせき)、そしてその()(こめ)(おお)くとれるよい()(しゅう)かくの(すく)ない(わる)()かの区分(くわ)け、(しゅう)かくする(こめ)(りょう)耕作(こうさく)している(ひと)名前(なまえ)などが記録(きろく)されています。では、その記録(きろく)から400年前の(むら)様子(ようす)田畑(たはた)(こめ)計算(けいさん)単位(たんい)はどうであったかなどの具体的(ぐたいてき)なことは(つぎ)でお話します。(平成(へいせい)8年7月)