今回は本成寺地区の地名を訪ねてみましょう。本成寺という地名は、今から700年ほど前に本成寺というお寺が建てられたことから、その寺の名前が地名になったもので、それ以前は薄曽根という地名だったと言われています。
曽根というのは、「周囲に川や沼などがあるやせた土地」という意味で、きっとススキがたくさん生えた荒れ地のような所だったのが、本成寺が建てられるとともに開たくされ、500年前ころにはすでに本成寺村となり、本成寺の寺領になったものと考えられます。本成寺地区の南側の山ろくの近くの月岡も古くからある集落で、市営野球場が作られた時、その辺りから700年以上前の人が使ったと思われる食器や下駄や井戸などの生活用具やし設が発見されています。
月岡のとなりの如法寺は、本成寺と同じく寺の名前が地名となったものです。吉田も戦国時代の記録に出てくる地名です。本成寺地区の中ほどにある片口という集落は戦国時代は「潟くち村」とあり、また「袋村」もあります。
しかし「鱈田」は三条の記録にはあまり出てきません。これは鱈田が三条よりも大面(今の栄町)と関係が深かったからではないかと思います。ほかの記録で「かんはらのこほりのうちたら田」と書きしるしたものがあることがそれを物語っているのではないかと考えます。栄町との境界にある長嶺も三条の記録にあまり出てきません。そのころは袋や片口と鱈田、長嶺辺りの所が、三条と大面の境界になっていたのではないでしょうか。(平成8年4月)
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