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前回は三条市の中心部辺りの今から400年前ころの地名について書きましたが、今度は少しはなれた、昔の村だった所の地名を探ってみましょう。まず、井栗地区に目を向けると「いぐり」という地名は大変、古い地名で、今から千年以上も前からある地名です。日本の一番古い歌集である『万葉集』の中にも「伊久里」という地名があり、それが三条市の井栗のことではないかと言われています。
その他の戦国時代の記録に出てくる古い地名では「塚ノ目村」があります。今から400年前ころは、今の三条総合病院近くから嘉坪川や栗林などの辺りにかけて「大つき潟」という大きな沼がありました。塚ノ目(今は塚野目と書きます)は、その大つき潟の南側にあって、その近くの湿地(じめじめした荒地)などを開たくした人たちが村を作って住んでいたのではないでしょうか。
しかし、井栗地区で、今はたくさんの家があって学校などもある鶴田、下谷地、西潟や信濃川の右岸の土手近くにある三貫地、柳川、柳場、須戸、北野、白山といった集落の地名は記録の中に出てきません。今はその辺りは工場があったり、公共し設があったりして、たいへん発てんしてきていますが、その辺りの土地は、新田と言って戦国時代のあと、江戸時代になってから、荒地を開たくして人が住むようになった土地だったのです。新田と言われた辺りは低い土地だったので、時々大雨でこう水になったりして、まだ村人たちが安心して住める場所になっていなかったのではないでしょうか。(平成8年2月)
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