28 三条(さんじょう)(しろ)(やかた) 〜姫ノ城(〜ひめのじょう)大崎(おおさき)城〜(じょう〜)

 

 前回(ぜんかい)に話した山城(やまじろ)がどんな(ところ)にあったかについて、大崎(おおさき)地区(ちく)から見てみましょう。三条市(さんじょうし)加茂市(かもし)下田村(しただむら)境界(きょうかい)に近い(ところ)姫ノ(ひめの)城山(じょうやま)という(ところ)があります。保内(ほない)小学校(しょうがっこう)の近くからずっと山道(やまみち)(のぼ)った(ところ)で、大崎(おおさき)地区(ちく)からは麻布(あざぶ)林道(りんどう)(のぼ)り、加茂市(かもし)との(さかい)左側(ひだりがわ)(やま)です。そこに山城(やまじろ)があったのです。姫ノ城(ひめのじょう)とよび、火見(ひみ)(じょう)とも書くと言われています。標高(ひょうこう)が213メートルあり、三条市(さんじょうし)にある山城(やまじろ)では(もっと)も高い場所(ばしょ)にあるものと(かんが)えられます。

 この姫ノ城(ひめのじょう)の近くには古い(みち)があり、(むかし)から三条(さんじょう)から加茂(かも)方面(ほうめん)下田(しただ)方面(ほうめん)へ行く分岐点(ぶんきてん)(みち)がわかれる場所(ばしょ))として重要(じゅうよう)位置(いち)にあったのです。(しろ)四方(しほう)が見わたせる(やま)のちょう(じょう)(つち)をもり()げて土塁(どるい)というものが作ってあります。ここから(とお)くまで(ひと)の動きなどがよく見えたのでしょう。

 大崎城(おおさきじょう)麻布(あざぶ)要害山(ようがいやま)という(ところ)にある山城(やまじろ)で、三条市(さんじょうし)にある山城(やまじろ)では一番(いちばん)規模(きぼ)の大きな(かま)えのしっかりとした山城(やまじろ)と言われています。場所(ばしょ)五十(いか)嵐川(らしがわ)に近く、(しろ)のすぐ(した)国道(こくどう)289号線(ごうせん)下田村(しただむら)を通って福島県(ふくしまけん)へ行く道路(どうろ))が(とお)っています。五十(いか)嵐川(らしがわ)を通る(ふね)下田村(しただむら)三条市(さんじょうし)()(きた)する(ひと)たちがよく見える(ところ)(しろ)があったのです。

 要害山(ようがいやま)(のぼ)ると(むかし)からの空堀(からほり)(みず)のない(ほり))があり、(やま)全体(ぜんたい)(しろ)であった(かたち)残って(のこって)いて、(いま)から(やく)500年前のこの地方(ちほう)重要(じゅうよう)(しろ)であったことが分かります。では、山城(やまじろ)でどんな戦いがあったのでしょう。(平成(へいせい)7年6月)