今から500年以上も前に、鉄や銅などの金属を高い熱で とかして土の型に流しこみ、お寺のつり鐘などを作るい物師が大崎地区に住んでいた、というお話の続きをします。
新潟県のとなりにある福島県に、会津高田町という所があります。そこは古い神社や寺などがあり、歴史の古い町です。その会津高田町の雀林という場所に、法用寺というお寺があり、現在は住職もいない寺ですが、大変、由緒のあるお寺です。古い寺のことを「古刹」と言いますが、この法用寺は古い本堂や三重の塔があり、古刹とよぶにふさわしいお寺です。
そこに、銅でできた古いつり鐘があります。その鐘には「大工越後国蒲原郡大崎住妙実」という文字(銘文と言います)がきざんであり、また「文明六年甲午六月廿一日」という日付けもきざんであります。その他、まだいろいろなことがきざんであるのですが、これを分かりやすく説明すると、大工は、この鐘を作った主任という意味ですから、「文明6年(1474)に、越後国(新潟県)蒲原郡大崎(現在の三条市大崎地区)に住む妙実という人が主任になって、地元の職人と力を合わせて、この鐘を作った」ということが銘文から分かるのです。
このことから、大崎地区に500年以上も前につり鐘などを作る技術をもったい物師が住んでいたことが分かります。では、どうやって会津高田町へ行ったのでしょうか。はっきりしたことは分かりませんが、下田村を通り、八十里越えという山道を越えて会津地方(福島県)へ行ったのではないかと考えられます。(平成7年1月)

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