24 大崎(おおさき)地区(ちく)住んで(すんで)いたい物師(ものし)(はなし)

 

 (いま)から500年以上(いじょう)(まえ)に、(てつ)(どう)などの金属(きんぞく)を高い(ねつ)とかして(つち)(かた)に流しこみ、お(てら)のつり(かね)などを作るい物師(ものし)大崎(おおさき)地区(ちく)に住んでいた、というお話の続きをします。

 新潟県(にいがたけん)のとなりにある福島県(ふくしまけん)に、会津(あいづ)高田町(たかだまち)という(ところ)があります。そこは古い神社(じんじゃ)(てら)などがあり、歴史(れきし)の古い(まち)です。その会津(あいづ)高田町(たかだまち)雀林(すずめばやし)という場所(ばしょ)に、法用寺(ほうようじ)というお寺があり、現在(げんざい)住職(じゅうしょく)もいない(てら)ですが、大変(たいへん)由緒(ゆいしょ)のあるお寺です。古い(てら)のことを「古刹(こさつ)」と言いますが、この法用寺(ほうようじ)は古い本堂(ほんどう)三重(さんじゅう)(とう)があり、古刹(こさつ)とよぶにふさわしいお寺です。

 そこに、(どう)でできた古いつり(かね)があります。その(かね)には「大工越後国(だいくえちごのくに)蒲原郡(かんばらのこおり)大崎住(おおさきのじゅう)妙実(みょうじつ)」という文字(もじ)銘文(めいぶん)と言います)がきざんであり、また「文明(ぶんめい)(ろく)年甲(ねんきのえ)(うま)六月(ろくがつ)廿(にじゅう)一日(いちにち)」という日付けもきざんであります。その()、まだいろいろなことがきざんであるのですが、これを分かりやすく説明(せつめい)すると、大工(だいく)は、この(かね)を作った主任(しゅにん)という意味(いみ)ですから、「文明(ぶんめい)6年(1474)に、越後国(えちごのくに)新潟県(にいがたけん)蒲原郡大崎(かんばらのこおりおおさき)現在(げんざい)三条市大崎(さんじょうしおおさき)地区(ちく))に住む妙実(みょうじつ)という(ひと)主任(しゅにん)になって、地元(じもと)職人(しょくにん)(ちから)を合わせて、この(かね)を作った」ということが銘文(めいぶん)から分かるのです。

 このことから、大崎(おおさき)地区(ちく)に500年以上(いじょう)(まえ)につり(かね)などを作る技術(ぎじゅつ)をもったい物師(ものし)が住んでいたことが分かります。では、どうやって会津(あいづ)高田町(たかだまち)へ行ったのでしょうか。はっきりしたことは分かりませんが、下田村(しただむら)を通り、八十里越(はちじゅうりこ)えという山道(やまみち)()えて会津(あいづ)地方(ちほう)福島県(ふくしまけん))へ行ったのではないかと考えられます。(平成(へいせい)7年1月)