20 月岡(つきおか)綾ノ前(あやのまえ)いせきから発くつされた木簡(もっかん)

 

 (いま)月岡(つきおか)三条市(さんじょうし)総合(そうごう)運動(うんどう)公園(こうえん)建設(けんせつ)されています。それにあわせて新しい道路(どうろ)も作られています。その運動(うんどう)公園(こうえん)が作られる場所(ばしょ)は、古くから人間(にんげん)生活(せいかつ)していた土地(とち)だったので、建設(けんせつ)工事(こうじ)がはじまる(まえ)に、月岡(つきおか)綾ノ前(あやのまえ)いせきのつながりとして、一昨年(いっさくねん)から発くつ調査(ちょうさ)が行われ、そこから、縄文(じょうもん)時代(じだい)土器(どき)をはじめ、井戸(いど)のあとや(むかし)水路(すいろ)あとなどとともに、(むかし)の人たちが使っていた道具(どうぐ)などもたくさん発くつされました。

 これらの道具(どうぐ)は、(かたち)作り方(つくりかた)からみて、およそ(いま)から700〜800年前の(もの)ではないかと考えられます。あるいは、もう少し新しい時代(じだい)かもしれません。これらの道具(どうぐ)に混じって「蘇民(そみん)将来(しょうらい)」とうい文字(もじ)が書いてある細い小さな木札(きふだ)木簡(もっかん)と言います)が、古い井戸(いど)あとから発見(はっけん)されました。そこで、蘇民(そみん)将来(しょうらい)木簡(もっかん)というのは、どういうものかについて、お話しましょう。蘇民(そみん)将来(しょうらい)について、こんな(はなし)があります。


 (むかし)蘇民(そみん)将来(しょうらい)巨旦(こたん)将来(しょうらい)という兄弟(きょうだい)がいて、(あに)貧しく(まずしく)あばら()住み(すみ)(おとうと)金持ち(かねも)で、へいがきのあるりっぱな(いえ)住んで(すんで)いました。ある()(ゆう)ぐれ、きたない身なりの旅人(たびびと)が、一夜(いちや)宿(やど)(おとうと)巨旦(こたん)将来(しょうらい)に頼んだところ断られ、(あに)蘇民(そみん)将来(しょうらい)気持ち(きもち)よく泊めて(とめて)やりました。その旅人(たびびと)というのは武塔神(たけあらきのかみ)牛頭(ごず)天王(てんのう)という(せつ)もある)という(かみ)でした。

 そのことから、巨旦(こたん)将来(しょうらい)はほろびて、蘇民(そみん)将来(しょうらい)子孫(しそん)までずっと栄えることを(かみ)から約束(やくそく)されました。この(はなし)から、「蘇民(そみん)将来(しょうらい)子孫(しそん)」と書いた(ふだ)(いえ)玄関(げんかん)に張ったり、作物(さくもつ)(がい)虫除け(ちゅうよ)田畑(たはた)に立てたりするようになったと言われています。毎年(まいとし)6月30日に行われている八幡宮(はちまんぐう)神明社(しんめいしゃ)の「()()くぐり」も、蘇民(そみん)将来(しょうらい)の話と関係があります。(平成6年6月)