今、月岡に三条市総合運動公園が建設されています。それにあわせて新しい道路も作られています。その運動公園が作られる場所は、古くから人間が生活していた土地だったので、建設工事がはじまる前に、月岡綾ノ前いせきのつながりとして、一昨年から発くつ調査が行われ、そこから、縄文時代の土器をはじめ、井戸のあとや昔の水路の あとなどとともに、昔の人たちが使っていた道具などもたくさん発くつされました。
これらの道具は、形や作り方からみて、およそ今から700〜800年前の物ではないかと考えられます。あるいは、もう少し新しい時代かもしれません。これらの道具に混じって「蘇民将来」とうい文字が書いてある細い小さな木札(木簡と言います)が、古い井戸あとから発見されました。そこで、蘇民将来の木簡というのは、どういうものかについて、お話しましょう。蘇民将来について、こんな話があります。
昔、蘇民将来と巨旦将来という兄弟がいて、兄は貧しくあばら家に住み、弟は金持ちで、へいがきのあるりっぱな家に住んでいました。ある日の夕ぐれ、きたない身なりの旅人が、一夜の宿を弟の巨旦将来に頼んだところ断られ、兄の蘇民将来は気持ちよく泊めてやりました。その旅人というのは武塔神(牛頭天王という説もある)という神でした。
そのことから、巨旦将来はほろびて、蘇民将来は子孫までずっと栄えることを神から約束されました。この話から、「蘇民将来の子孫」と書いた札を家の玄関に張ったり、作物の害虫除けに田畑に立てたりするようになったと言われています。毎年6月30日に行われている八幡宮や神明社の「茅の輪くぐり」も、蘇民将来の話と関係があります。(平成6年6月)
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