12 井栗(いぐり)の「万葉(まんよう)(ふじ)」について

 

 三条市(さんじょうし)大字(おおあざ)井栗(いぐり)は、「勇礼(いくれ)」や「伊久礼(いくれ)」として、(いま)から千年(せんねん)以上(いじょう)(まえ)からあった地名(ちめい)であることを(まえ)(せつ)(めい)しました。今回(こんかい)は、日本(にほん)(もっと)(ふる)歌集(かしゅう)である()万葉集(まんようしゅう)()によまれている「井栗(いぐり)(ふじ)」について話してみましょう。

 その「井栗(いぐり)(ふじ)」をよんだ(うた)は、こんな短歌(たんか)です。(いも)(いえ)に ()久里(ぐり)(もり)(ふじ)(はな) 今来(いまこ)(はる)も (つね)かくし()む これが()万葉集(まんようしゅう)()(まき)17の(なか)にあり、大原(おおはらの)高安(たかやす)真人(まひと)という(ひと)がよんだ(うた)です。その(うた)の「()久里(ぐり)(もり)(ふじ)」というのが、三条市(さんじょうし)井栗(いぐり)にあった(ふじ)のことではないか、と言われています。

 江戸(えど)時代(じだい)(いま)から220年ほど前に井栗(いぐり)松川(まつかわ)重行(しげゆき)という人が書いた記録(きろく)によると「井栗(いぐり)(ふじ)は、(むかし)非常(ひじょう)(とお)くまで(えだ)がはっていて、(むら)(ひと)たちが(あま)やどりをしたり、(はな)()くころは(とお)くから見物(けんぶつ)にきたものだ。」と()べてあります。現在(げんざい)もその何代目(なんだいめ)かになる(ふじ)井栗(いぐり)(むら)はずれに()えていて、そこが「(ふじ)()」という地名(ちめい)になっています。

 しかし、()万葉集(まんようしゅう)()によまれた「井栗(いぐり)(ふじ)」が三条市(さんじょうし)のものであったかどうか、という疑問(ぎもん)もあります。(たと)えば、富山県(とやまけん)砺波市(となみし)(ちか)くに井栗(いぐり)という地名(ちめい)があり、()万葉集(まんようしゅう)()(へん)さんした大伴(おおともの)家持(やかもち)越中(えっちゅうの)(かみ)(いま)富山県(とやまけん)知事(ちじ)のようなもの)だったことがあります。また、(うた)をよんだ大原(おおはらの)高安(たかやす)真人(まひと)山城国(やましろのくに)(いま)京都府(きょうとふ))の(ひと)のようです。「()久里(くり)」は特定(とくてい)地名(ちめい)ではなかったのではないか、という(せつ)もあります。しかし、「井栗(いぐり)(ふじ)」は、三条市(さんじょうし)文化財(ぶんかざい)指定(してい)してありますので、それは「万葉(まんよう)(ふじ)」なのでしょう。(平成(へいせい)5年10月)