今から千年以上も前にまとめられた延喜式という古代の規則やぎ式に関することなどがいろいろ書かれている50巻の法典があります。どうして延喜式というかというと、延喜5年(905)にこれを編さんする仕事が開始されたからです。
延喜式の9巻と10巻にはその時代にあった全国各地の名のある神社がのっており、この2巻は「延喜式神名帳」とよばれ、またそこにのっていた神社を「式内社」とよぶようになりました。そして、式内社は一般に格式の高い神社と考えられるようになりました。
越後国(今の新潟県)蒲原郡に は、青海神社・宇都良波志神社・伊久礼神社・槻田神社・小布勢神社・伊加良志神社・伊夜比古神社・長瀬神社・中山神社・旦飯野神社・船江神社・土生田神社の9社が式内社としてありました。そのうち三条市にあったと思われるのは、伊久礼神社・槻田神社・小布勢神社・中山神社です。
伊久礼神社は前回にも説明したように「和名類聚抄」にある勇礼郷が今の三条市井栗にあたり、伊久礼神社は井栗にあります。槻田神社は荒町と月岡にありますが、どちらが式内社にあたるのかは分かりません。
小布勢神社は上保内の布施谷にあり、また古代の小伏郷が布施谷辺りであったのではないかと言われる
ことから、現在の小布勢神社が式内社であると考えられています。中山神社は西大崎にありますが、同じ名前の神社が五泉市の郊外にもあり、どちらの中山神社が式内社であったのかはっきりしていません。(平成5年9月)
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