11 三条(さんじょう)式内社(しきないしゃ)古代(こだい)神社(じんじゃ)

 

 (いま)から千年(せんねん)以上(いじょう)(まえ)にまとめられた延喜式(えんぎしき)という古代(こだい)規則(きそく)やぎ(しき)関する(かんする)ことなどがいろいろ()かれている50巻の法典(ほうてん)があります。どうして延喜式(えんぎしき)というかというと、延喜(えんぎ)5年(905)にこれを(へん)さんする仕事(しごと)開始(かいし)されたからです。

 延喜式(えんぎしき)の9(かん)と10(かん)にはその時代(じだい)にあった全国(ぜんこく)各地(かくち)()のある神社(じんじゃ)がのっており、この2(かん)は「延喜(えんぎ)式神名帳(しきじんみょうちょう)」とよばれ、またそこにのっていた神社(じんじゃ)を「式内社(しきないしゃ)」とよぶようになりました。そして、式内社(しきないしゃ)一般(いっぱん)格式(かくしき)(たか)神社(じんじゃ)(かんが)えられるようになりました。

 越後国(えちごのくに)(いま)新潟県(にいがたけん)蒲原郡(かんばらぐん)
は、青海(おうみ)神社(じんじゃ)宇都(うつ)()波志(はし)神社(じんじゃ)伊久礼(いくれ)神社(じんじゃ)槻田(つきた)神社(じんじゃ)小布勢(おぶせ)神社(じんじゃ)伊加(いか)良志(らし)神社(じんじゃ)伊夜比(いやひ)古神社(こじんじゃ)長瀬(ながせ)神社(じんじゃ)中山(なかやま)神社(じんじゃ)旦飯(あきらい)野神社(のじんじゃ)船江(ふねえ)神社(じんじゃ)土生田(はにゅうだ)神社(じんじゃ)の9(しゃ)式内社(しきないしゃ)としてありました。そのうち三条市(さんじょうし)にあったと思われるのは、伊久礼(いくれ)神社(じんじゃ)槻田(つきた)神社(じんじゃ)小布勢(おぶせ)神社(じんじゃ)中山(なかやま)神社(じんじゃ)です。
 伊久礼(いくれ)神社(じんじゃ)前回(ぜんかい)にも説明(せつめい)したように「和名(わみょう)類聚(るいじゅ)(しょう)」にある勇礼郷(いくれのごう)(いま)三条(さんじょう)市井(しい)(くり)にあたり、伊久礼(いくれ)神社(じんじゃ)井栗(いぐり)にあります。槻田(つきた)神社(じんじゃ)荒町(あらまち)月岡(つきおか)にありますが、どちらが式内社(しきないしゃ)にあたるのかは分かりません。 

 小布勢(おぶせ)神社(じんじゃ)上保内(かみほない)布施谷(ふせたに)にあり、また古代(こだい)小伏郷(おぶせのごう)布施谷(ふせたに)辺りであったのではないかと言われる
ことから、現在(げんざい)小布勢(おぶせ)神社(じんじゃ)式内社(しきないしゃ)であると考えられています。中山(なかやま)神社(じんじゃ)西大崎(にしおおさき)にありますが、同じ名前(なまえ)神社(じんじゃ)五泉市(ごせんし)郊外(こうがい)にもあり、どちらの中山(なかやま)神社(じんじゃ)式内社(しきないしゃ)であったのかはっきりしていません。(平成(へいせい)5年9月)