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前回に書きました月岡の綾ノ前いせきは、いろいろな時代の土器や石器が出てきた複合いせきですが、大崎地区の上野原いせきは、縄文時代晩期という一時代の土器や石器がほとんどですので単純いせきと言ってよいでしょう。
上野原いせきの発くつ調査は、昭和40年(1965)から3年間にわたり、三条市教育委員会が中心になって、三条商業高校や、三条東高校の協力を得て行われた、三条市では初めての学術的ないせき調査でした。場所は、大崎山グリーンスポーツセンターへ行く県道ぞいにあります。
広さ155・36平方メートルほどの大きなゆか面積の住居址(人が住んでいたあと)が発くつされましたが、この大きさはこの時代の一般的な住居址の2倍以上もあるのです。また、発くつされたたくさんの土器や石器の中に土偶という人形のような土器や土版というまじないなどに使ったと思われる土器が多くふくまれていることから、その場所はお祭りやぎ式などをするために大勢の人たちが集まる集会所のようなものとも考えられます。

では、縄文時代晩期とはいつごろのことでしょうか。晩期とは終わりに近い時期ですから縄文時代の終わりころということです。そのあとは弥生時代になります。弥生時代は今から1700〜2200年ぐらい前と一般に言われています。三条市歴史民俗産業資料館にある上野原いせきの土器の説明では「およそ1700年前」とありますが、はたしてそれが正しいのかどうか分かりません。(平成5年2月)
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